それでも私は、できることを全部やった
14週で小さな命を失ったあと、
私は、未来を迎えに行くために、
再び歩き出した。
徹底的に検査を受け、治療を重ね、
わずかな可能性にもすがるように努力を続けた。
それでも、結果は──
◆ できることは、すべてやる。たとえ、何も異常がなくても
不育症クリニックでは、あらためて
体の機能や器質を徹底的にチェックされた。
不育症の原因には、様々なものが挙げられる。
- 子宮の形態異常(中隔子宮、筋腫など)
- 血栓傾向(抗リン脂質抗体症候群など)
- 内分泌異常(甲状腺機能異常、高プロラクチン血症など)
- 免疫異常(NK細胞活性亢進、自己免疫疾患など)
- 両親いずれかの染色体異常(均衡型転座など)
しかし、私の体には、
1つとして欠陥が見つからなかった。
内分泌系や免疫系の数値は良好。
血栓傾向も見られない。
掻爬手術を繰り返したので心配していた子宮の形態も、
内視鏡で見ても問題はなかった。
◆ 治療できる余地がないからこそ、治療にすがった
それでも、
受精卵を受け入れやすくする免疫治療や、
血液をサラサラにして胎児への栄養循環を促す治療が適用できるとアドバイスされ、
それを試みることにした。
不育症と不妊症の治療は、それぞれ別のクリニックで行う。
コーディネートが少し面倒だったが、
生理が始まり、不妊症クリニックでおおよその移植日が決まると、
それに合わせて不育症クリニックで治療スケジュールが組まれた。
移植の数日前から、
免疫バランスを整える点滴を数回行う。
1回の点滴に2〜3時間。
ほぼ半日がこれに費やされた。
これまでの移植サイクルにプラスαの手間が加わったわけだが、
着床の可能性を少しでも高められると思えば、苦にも感じなかった。
それどころか、
期待に胸を膨らませながら点滴を受けることができた。
免疫治療を行なっても、
内膜が薄いのは相変わらずだった。
それでも、なんとか移植にはこぎつけた。
しかし、着床しない。
結果は、陰性。
これを数回繰り返した。
不育症の治療も効果がない。
もう、残っている受精卵も多くはない。
これ以上に撃つ手はない…
◆ それでも、新しい可能性は、意外なところに
「男性不妊の専門のドクターがいます。会ってみますか?」
不育症クリニックの初老の医者が言った。
「男性不妊?」
10年前に不妊治療を始めたとき、
もちろん主人の精子のクオリティは調べられている。
数も動きも問題なかった。
「そう言われてみたら、私は兄が二人いて、二人とも子供がいません」
主人が真剣な顔で医者に向き合った。
◆ あとがき
不育症の検査で、体に異常がないとわかったとき、
私は少しだけ、ほっとした。
でも同時に、
「これ以上、何をすればいいのだろう」
という迷いも生まれた。
できる限りのことは、やった。
その確かな実感が、かすかな救いだった。
◆ 今の私の視点
結果が出なかった努力にも、
意味はあると思う。
それは、
自分にできることを、
自分自身の手で選び取った証だから。
たとえ道が閉ざされたように見えても、
私は、欲しいものを手に入れるために
道を模索し続けた。
その努力の全てが
美しい人生の糧になっている。
後悔はない。
【次回予告】
まさかの男性不妊?
妊娠するためにできることは全てやったつもりだったが、盲点があった?!
次回は、主人の治療の話を綴ろうと思う。