3度の稽留流産を経験し、何度も自分の体を責めた。
原因が分からないまま時間だけが過ぎていくなか、
ある教授のひと言が、
私の10年分の自己否定を溶かした。
◆ コロナ禍で静かに過ごした日々
2020年、コロナ禍によるロックダウンは、
ある意味、生活を見直す良いきっかけにもなった。
食料の買い出しすらままならないニューヨークで、
私たち夫婦は2ヶ月間、
文字通り「一歩も」外に出なかった。
食品は100%デリバリーに頼った。
職業柄、以前から食事にはある程度気を遣っていたが、
この期間中は、ちょっと手の込んだ料理やパン、
菓子作りも楽しんだ。
私も主人もグルテンに弱いため、
すべてグルテンフリーで。
野菜や果物は、オーガニックの規格外サイズのものが
安価に手に入る仕組みがあり、
質の良い、美味しい生鮮を堪能することができた。
YouTubeで気に入った
エクササイズ・インストラクターを見つけて、
毎日、一定時間、室内でトレーニングを継続した。
また、ピアノのレッスンアプリをダウンロードして、
久しぶりに演奏を楽しんだ。
そしてその間、私は
養子縁組エージェンシーからの連絡をずっと待っていた。
◆ 再び不育症検査へ
待てど暮らせど、養子縁組の連絡は来なかった。
そんなある日、不育症研究で著名な女医の
カウンセリング予約を取ることができた。
私は、別の不育症クリニックで検査を受けた際、
自分の体には何ひとつ問題が見つからなかった。
それでも稽留流産を繰り返した理由が知りたくて、
答えを探すように、診察室に足を運んだ。
いくつかの質問のやりとりのあと、
女医はふとこう言った。
「掻爬手術のときの組織を、Y大学のH教授に見てもらったらどうかしら?」
「H教授?」と聞き返すと、
彼女は説明してくれた。
H教授は、不育症の原因に
特定の遺伝子が関わっているという仮説を持ち、
その研究を進めている人物であるという。
だが、私の掻爬手術はすでに2年前のことだった。
そのときの組織など、もう残っていないだろう
——そう思った。
「あるはずよ。あったら、その組織をY大学のラボに送るわね」
そう即答するあたり、
やはり医局を率いるだけの人物だと感じた。
スリムで、クレバーな印象の女性だったが、
それだけではない。
患者の気持ちを丁寧に汲み取る、優しさもあった。
帰り際、彼女はこう言った。
「原因が見つかるといいわね」
そして、後日、H教授という初老の男性医師から、
オンライン面談の案内メールが届いた。
2年前の手術の際の、私の内膜組織が残っていたのだ!
◆ H教授のことばに、私の10年が救われた
ミーティング当日、
私と主人は、パソコンの前で緊張していた。
肩を寄せ合いながら、画面越しにH教授に挨拶をした。
Zoomで画面越しにあらわれた初老のH教授は、
温厚そうな口調と、穏やかな笑顔が印象的だった。
私は日頃から「本当に賢い人ほど、難しいことを
わかりやすく説明できるものだ」と思っている。
H教授は、まさにその代表だった。
教授は、不育症や稽留流産の仕組みについて、
私たちが理解できるよう、ていねいに話してくれた。
そのあと、少し笑みを浮かべながら、
主人にこんな質問を投げかけた。
「君は学生時代、優秀だった?」
「人と違ってるねって言われたことある?」
「特別な才能があったりする?」
不育症の説明をしている最中の主人の受け答えが、
教授にとって印象深かったのだろうか?
そういえば、主人は彼の祖国において、
最も優秀な大学の出身で、
入試成績はトップ10に入っていた。
妻の私が言うのも何だが、確かに頭がキレる。
特に洞察力が高く、人の本質を見抜くのが早い。
ただ、そんな彼も意外な一面がある。
驚くほど方向音痴なのだ。
新居に引っ越した当初など、
GPSがなければ自宅に帰れないほどだった。
私もいろんな人を見てきたが、
主人は少し「変わっている」といえば、
確かにそうかもしれない。
◆ ASDという視点と、流産の背景
教授はふっと笑って言った。
「君、少しASDの気があるね。あ、これは褒め言葉だよ」
ASD(Autism Spectrum Disorder)は、
自閉スペクトラム症の略で、脳の働き方の違いにより、
対人関係や行動パターンに特徴が見られる発達特性のこと。
人によっては、特定の分野で
突出した才能を発揮することもある。
主人が、ASD……?
少し驚いたが、同時に腑に落ちるところもあった。
そして教授は、さらにこう続けた。
「君とのやり取りを通して、君がとても優秀だということは分かった。実はね、稽留流産を繰り返すカップルで、女性側に問題がない場合、男性がASD傾向にあることが多い。私はその研究をしているんだ」
◆ 私の体は、赤ちゃんを拒絶していなかった
教授は、さらにこう語った。
「不育症の原因のひとつに、女性の免疫反応が胎児を異物とみなし、拒絶してしまうことがある。でも、Yuki——君の体は、赤ちゃんをちゃんと受け入れていたよ」
え…!
「この顕微鏡写真を見てごらん。
君の体は、赤ちゃんに栄養を届けようとしている。
しっかりと血管を伸ばしているのが見えるかな?
これは、育てようとしていた証拠なんだよ」
パソコンのモニターを見つめながら、
私の頬に熱いものが伝った。
私の体は、赤ちゃんを拒絶していたわけじゃなかった。
◆ ずっと、自分を責めてきた
これまで3度、稽留流産を経験した。
そのたびに、私は自分の体を蔑み、責め続けた。
「努力が足りなかったのかもしれない」
「私が悪いんだ」
そう思い込み、
ときには自分のお腹をゲンコツで殴って、
悲しみと怒りをぶつけることさえあった。
でも——
私はなにも悪くなかった。
私はちゃんと、
この体で、赤ちゃんを受け入れようとしていた。
◆ 目の前が、パッと明るくなった瞬間
H教授の言葉で、私は救われた。
「赤ちゃんがいなくなったのは、私のせいではなかった」
それがわかっただけで、
目の前がパッと明るくなった。
◆ 遺伝的な要素と、50/50の確率
そのタイミングで、主人が冷静に尋ねた。
「では、私は遺伝的に、
子どもができにくいのでしょうか?
私には2人の兄がいますが、2人とも子どもがいません」
教授はすぐに答えた。
「可能性は50/50だよ」
「50/50?」
「そう。君たちの受精卵は、
半分の確率で着床・成長する可能性がある。
宝くじに当たれば、ちゃんと育つということだ」
その言葉を聞いて、私たちは顔を見合わせた。
私たちの受精卵は、まだ残っている。
まだ、可能性があるということ——。
◆ あとがき
50歳の誕生日とコロナをきっかけに、
子供を迎える方法を「妊娠」から
「養子縁組」に方向転換させたと同時に、
私の気持ちはすーっと楽になったのを覚えている。
そして、稽留流産の原因が私でないとわかった時には、
冤罪を晴らしたような清々しい喜びがあった。
私は無意識のうちに自責の念に駆られ、
そのために、
なんとしてでも子供を産まなければならないと
自分を追い込んでいたのかもしれない。
【次回予告】
人生とは、本当に不思議なものだね。
何かを手放すと、新しい何かが入ってくる——
それは、あながち嘘ではない気がするよ。
次回は、私に舞い込んできた新しい可能性のお話を。