“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.”
——Steve Jobs
あなたの時間は限られている。だから、他人の人生を生きて無駄にしてはいけない。
「もう子どもを産むには遅いんじゃない?」
「そこまでして、子どもが欲しいの?」
そんな声に耳をふさいででも、私は自分の心に正直でいたかった。
10年の不妊治療を経て、52歳で出産。
さらにもう一人の娘を、代理母という選択で迎えた。
それは、誰かに決められた人生じゃない。
私が、自分で選んだ人生だった。
◆ 10年間の不妊治療。もう十分だと思われても
ホルモン注射、陰性の判定、流産…。
何度も心が折れかけた10年間。
「諦めるのも勇気だよ」と言われたこともあった。
でも、私の中には消えない声があった。
——まだ、終われない。
——私は、母になりたい。
◆ 代理母という選択と「内なる声」
それでも、もうダメかもしれないと思ったこともある。
2020年。50歳の誕生日、そしてコロナ禍。
でも、それは「諦めた」わけじゃなかった。
気づいたのは、「子どもを授かる」という願いに対して、
自分で産むことだけが手段じゃない、ということ。
そうしてたどり着いたのが、代理母という選択だった。
当然、この選択には賛否がつきまとう。
でも、それは他人の価値観。ルール。人生。
Jobsはこう言った。
“Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice.”
——他人の声に、自分の内なる声をかき消されるな。
私の心は、はっきりと言っていた。
「我が子を迎えたい」と。
◆ 52歳での出産。非常識のその先へ
現実は、時に小説よりもずっと劇的だ。
代理母が見つかってまもなく、私自身が妊娠した。
そして52歳で、私は娘を出産。
無我夢中だったから、自分の年齢なんて忘れていた。
ただ、自分の心と直感に従って進み続けた。
その1ヶ月後、代理母がもう一人の娘を出産。
私たち家族に、2人の命がほぼ同時にやってきた。
丸裸の赤ちゃんを胸に抱いたとき、
誰かの視線よりも、自分の喜びが勝った。
帝王切開の傷跡も、夜泣きも、
私にとっては“人生最高のプレゼント”なのだ。
◆ 自分の人生を生きる
他人の期待にも、社会の目にも従わなかった。
この道を選んだのは、私。
誰に媚びる必要も、謝る必要も、恥じる必要もない。
私は、私の心と直感に従った。
“Everything else is secondary.”
——それ以外は、すべて二の次に過ぎない。
Steve Jobsのその言葉どおりに、
私は、自分の人生を生きた。
そして今、私の横で2人の娘が戯れ合いながら笑う。
「この人生を選んでよかった」——心から、そう思う。