たった数か月だった。でも確かに、あなたはここにいた。
◆ 私だけの、嬉しい秘密
アメリカに戻る飛行機の中で、
私は幸せを噛み締めていた。
私のお腹の中には、赤ちゃんがいる。
一人でシートに座っているが、私はもう一人ではない。
人には見えない秘密を抱えているような、
くすぐったくて、あたたかい気持ちだった。
◆ 9週のエコーと、12週のマタニティスイミング
過去に2回、稽留流産で赤ちゃんを失った8週は、もう越えていた。
今回こそ、きっと大丈夫だと思った。
出血を乗り越えて、
子宮にしっかりとしがみついてくれているこの子は、きっと強い。
妊婦になったら、やってみたいことがあった。
それが、マタニティスイミングだった。
12週を超えたら参加できると聞き、ずっと楽しみにしていた。
受精卵を戻すとき、性別を選ぶこともできたが、
私たちはあえて選ばなかった。
自然妊娠では、男の子か女の子かは授かりもの。
だから、なるべく自然に、ありのままを受け入れたかった。
男の子でも、女の子でも、
大きくなったらバイオリンを習わせたいねと
主人と笑いながら話していた。
胎教も、早い時期から始めた。
わざわざ日本から取り寄せた七田式の教材で、
フラッシュカードをめくり、言葉を届けていた。
目に映るもの、手で触れるもの、
そのすべてを、この小さな命と分かち合いたかった。
そして、9週の妊婦健診。
エコーに映った赤ちゃんは、
そら豆のような静かな塊──のはずだった。
なのに。
小さな手と足をパタパタ動かしながら、
お腹の中をスイスイ泳いでいた。
もう立派な人間じゃないか!
初めて見る、命の動き。
母体には何の体感もないが、
子宮の中にはうごめく生命体が宿っている。
まさに神秘。
私はその映像を、心に焼きつけた。
「次回は絶対に、主人も連れて来よう。」
そう思った。
12週を超え、楽しみにしていたマタニティスイミングにも参加できた。
週数が近い妊婦さんとすぐに仲良くなり、こう言葉を交わした。
「また来週!」
これから、たくさん語り合える仲間ができた。
そう思って、心がふわりと軽くなった。
◆ ドゥーラと13週の妊婦健診
アメリカには、ドゥーラというサービスがある。
プライベート助産師のような存在で、
妊娠期から出産まで、身体的・心理的に寄り添ってくれる。
数人の候補者との面接の末、
自宅出産経験もある、穏やかな女性にお願いすることにした。
「思い出に残る出産がしたい」
そんな私の願いに、静かに頷いてくれた彼女。
水中出産にも興味があった私は、
彼女にすすめられて、産婦人科の転院を考え始めた。
13週の妊婦健診も順調だった。
ただ、今回のエコーでは
胎児の動きが前回ほどはっきりと動きが見えなかったので、
少しがっかりした。
◆ 14週──思い描いていた未来が、静かに崩れた日
「出産は、一番豪華な個室にしようね」
長かった不妊治療に幕を下ろす。
だから、最後くらいは思いきり豪華にしよう──
主人と、笑いながらそんな話をしていた。
そして迎えた14週。
転院予定のクリニックでの診察。
初診ではエコーはなく、
2日後、正式に女医の診察とエコー検査を受けることになっていた。
主人も一緒だった。
お腹の赤ちゃんが動くところを、どうしても見せたかった。
9週のあの感動を、
彼にも味わってほしかった。
担当医は、颯爽とした女医だった。
アップタウンらしい、品と知性を備えた女性だった。
診察室で、私の横に立つ主人は、
嬉しそうに質問を重ねていた。
「妻は水分をあまり摂らないんです。もっと飲んだ方がいいですよね?」
「水泳も始めたんですけど、無理してないですよね?」
「仕事もしてるんですよ。もっと休めって言ってやってください!」
しかし、女医は一言も返さなかった。
ただ黙って、
プローブを動かしながら、
エコー画面をじっと見つめていた。
まさか。
背筋が、凍りついた。
「心拍が、確認できないわ。」
◆ あとがき
14週で、小さな命を失った。
あのときの感覚は、今もはっきりと心に残っている。
診察室で聞いた「心拍が確認できない」という言葉。
時間が止まったような、あの日の空気。
それでも、あの命がいた時間は、
私にとってかけがえのないもの。
たった数か月でも、
あの子は、私の世界を広げてくれた。
◆ 今の私の視点
悲しみは、なくなるわけではありません。
でも、悲しみと一緒に生きていく方法を、
少しずつ覚えていくのだと思います。
本当に本当に短かったけど、
あの子と一緒に過ごした日々と
あの時の私自身は
尊きもの。
愛したことも、失ったことも、
ときめいたことも、傷ついたことも、
喜びも、涙も、
すべてが、今の私をつくっています。
経験の数だけ人生は豊かになる。
【次回予告】
次回は、失ったあとに訪れた日々を、
また少しずつ、綴っていこうと思います。